尾形月耕

尾形月耕

安政6年(1859)生、大正9年(1920)没
少年期より父の勧めで絵を描き始め、絵草子屋をまわって錦絵を描かせてほしいと頼み歩いた。絵は、幕末から明治の初めに活躍した狩野派の菊地容斎の画風を独学した。
大正14年頃、琳派の尾形光哉の家姓を継いで、尾形月耕を名乗り始める。
「絵入り朝野新聞」をはじめ、新聞や雑誌の挿絵を描き、人気を博していく。
明治20年代には、水野年方とともに、新聞挿絵の双璧として絶大な人気を得た。
浮世絵版画では、日本画のような淡い彩色の美人画や、シリーズ「月耕随筆」、北斎に倣って「月耕漫画」を制作した。
日本画家として明治31年創立の日本美術院に参加、町絵師から芸術画家に転身した。