歌川国芳

歌川国芳

寛政9年(1798年)生、文久元年(1861年)没
画号には一勇斎国芳などがあり、同時代の初代広重、初代国貞と並んで、江戸時代末期を代表する浮世絵師である。歌川豊国の門下。弟子には双璧と言われる月岡芳年、落合芳幾のほか、歌川芳虎、歌川芳員、楊洲周延など多士済々である。河鍋暁斎も一時期門人であった。
画風は、豪快にして奇想天外、想像の斜め上を行くスタイルで、現代で最も人気がある絵師の一人である。浮世絵は、3枚続きであっても、一枚でも成り立つ絵にするのが慣例であったが、国芳はこれを無視した奇抜な構図の絵を描いた。
「武者絵の国芳」とも言われ、当時、歴史絵でも人気を博した。
反骨精神にも溢れ、しばしば幕政や世情を風刺する絵を描いたため、役人に呼び出され、詰問されたこともあったが、うまく言い逃れていたという。
「相馬の古内裏」や「源頼光公館土蜘作妖怪図」などが有名である。