二代歌川広重(歌川重宣)

二代歌川広重(歌川重宣)

文政9年(1826)生、明治2年(1869)没
初代歌川広重の門人。弘化のころ初代広重に入門し、はじめ重宣(しげのぶ)と称す。
美人画や花鳥画、武者絵を描き、やがて風景画も描くようになり、徐々に初代の作域に近付いた。また、横浜絵なども描いている。
安政5年(1858年)に初代が没すると、翌安政6年広重の養女お辰の婿になり、二代目広重を襲名する。
初代広重の晩年の揃物「名所江戸百景」にも参加し、全120図の内「赤坂桐畑雨中夕けい」には、「二世広重画」と款している。
また「立祥」の落款では横浜絵や開化絵を残した。
画風は師に倣って歌川派様式の美人を描いており、温和であったとされる彼の性格がうかがわれる一品である。