安達吟光
嘉永6年(1853)生、明治35年(1902)没
師系不詳。
初め松雪斎銀光と称し、明治3年(1870年)頃、銀光の名前で戊辰戦争の錦絵を描いた。明治7年(1874年)以降、吟光と改名する。真匠、松斎とも号す。
作画期は明治3年(1870年)から明治33年(1900年)頃の間で、明治7年(1874年)には「講談一席読切」という大判錦絵50番続の役者絵を銀光の名で描いた。
明治10年(1877年)に起こった西南戦争の錦絵の「鹿児島新聞・河尻本陣図」、「鹿児島新聞・熊本城戦争図」の辺りでの作品が目立つ。
また安達吟光の画名で「東京名所」の作品がある。その後、日清戦争、義和団の乱、議会関係といった報道画や、役者絵、芝居絵、名所絵も描いている。また「古今名婦鏡」などといった美人風俗画もよく知られている。
師系不詳。
初め松雪斎銀光と称し、明治3年(1870年)頃、銀光の名前で戊辰戦争の錦絵を描いた。明治7年(1874年)以降、吟光と改名する。真匠、松斎とも号す。
作画期は明治3年(1870年)から明治33年(1900年)頃の間で、明治7年(1874年)には「講談一席読切」という大判錦絵50番続の役者絵を銀光の名で描いた。
明治10年(1877年)に起こった西南戦争の錦絵の「鹿児島新聞・河尻本陣図」、「鹿児島新聞・熊本城戦争図」の辺りでの作品が目立つ。
また安達吟光の画名で「東京名所」の作品がある。その後、日清戦争、義和団の乱、議会関係といった報道画や、役者絵、芝居絵、名所絵も描いている。また「古今名婦鏡」などといった美人風俗画もよく知られている。
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